悲しい出来事
M君のこと・・・・・・。
当然のことでびっくりしました。
OBの保護者の方から、M君が倒れてこん睡状態だと5日前に聞きました。なんとか目を覚ましてほしいと、みんなで願い、何かできないかとその当時のOBの方々と集まって相談しようと言っていた矢先のことでした。
みんなの願いが叶わず、11歳で天国へと旅立っていったのです。
M君との出会いは、M君が3歳の時です。家族でアメリカから日本に来て、川西共同保育園に入園しました。お父さんはアメリカの方で、M君もその当時は英語混じりの日本語という感じでした。
入園したばかりのときは、保育園になじめず、トイレに閉じこもることがあったり、朝、お母さんとのお別れのときは、涙、涙のお別れでした。
保育園に慣れてからは、いつも元気に走り回り、笑顔が絶えない優しい子でした。
3年間の保育園生活を経て、小学校へと巣立って行きました。入学当時は、保育園にやってきては、3階に行き遊んで帰ることもしばしばありましたが、学年が上がるにつれ、保育園には来なくなりました。自転車で保育園の前を通る時は、ベランダから声をかけていくM君でした。
野球チームに入り、活躍していたそうです。遺影は、野球で活躍して得意気な表情を見せている写真で、当時のM君そのままです。とってもいい顔です。
M君の葬儀には、それはそれは大勢の方々が弔問に来られていました。M君が通っていた学校のお友達、保護者の方々。野球チームの関係の方々。そして、クラスを超えて保育園時代を共に過ごした子どもたち、保護者のみなさん、職員。まるでM君がみんなを引き合わせてくれたかのようでした。
学校の同級生たちは、M君が元気になることを願って千羽鶴を折ったり、歌を歌ってテープに吹き込んで病院に持っていったそうです。葬儀には5年生全員が来ていました。そして、吹き込んだ歌を歌ってM君を見送ってくれました。その歌声の清らかなこと。
そんな様子を見て、M君は学校でも野球チームでも友達の中で過ごしていたことがよくわかりました。みんなに愛されていたのですね。保育園の卒園後の事は何も知らない私でしたが、そんなことを知ることができてうれしかったです。
お母さんは、「Mは太く短く、濃い生涯でした。最後も笑顔で亡くなりました。」と話されましたが、そのお気持ちはどんなに悲しく、つらいものか、私の想像をこえたものです。
M君のご冥福をお祈りします。