本との出会い

 先日、書店に行くと、ふっとジーン・ウェブスター著の「あしながおじさん」が目につきました。私が小学生のころ夢中になって読んだ初めての児童書です。

その当時私の家庭は母と私の二人でした。仕事のため母の帰宅時間は遅く、学校から帰ったらいつも一人で母の帰宅を待つ日々でした。

ある夏の暑い日、この「あしながおじさん」を夢中になって読みすすめ、全部読み切った時には汗だくでした。すでに外は真っ暗で、部屋の電気もつけずに読んでいたことに気が付きました。初めて一人で読みきった本なのでとても印象深いのです。

何にそんなに惹かれたのかなと振り返ると、主人公のジュディと自分を重ねたのだろうと思います。主人公のジュディは身寄りがなく、孤児院(今はそんな言い方はしませんが)から寄宿舎にきた女の子でした。まわりの子が当然持っている教養をジュディは持っていなくて、何とかその場をしのいでいくのです。でも、困ったことがあれば顔も姿も見えない「あしながおじさん」がジュディを助けてくれたのです。そしてジュディは「あしながおじさん」に一方的に手紙を送り続けるのですが、その手紙がおもしろくて、当時の私も会ったことがない友だちと文通を始めたほどでした。困ったときに手を差し伸べてくれる「あしながおじさん」がきっと私にも現れると信じて毎日を過ごしていたように思います。

「あしながおじさん」をきっかけに様々な本との出会いがありました。

本は、知らないことを教えてくれ世界を広げてくれます。本の中に入れば、日常がつらくても、その物語の主人公になり温かな気分になります。

最近観た韓流ドラマで、出版社に勤める人々を描いたドラマがありました。その中で、死にゆく年老いた作家が弟子の青年に送った遺言にとても心がゆさぶられました。「本で世の中を変えられるとは信じていない・・・・でも本は人の心に足跡を残す」「本は人の心を温かく癒してくれる」「本のような人になれ」といったようなメッセージです。本やドラマ、映画には作り手の考えや思いが込められています。おもしろおかしく読んだり見たりするのもいいですが、私は、作者の意図や奥に隠された思いを探ぐるのが好きです。

保育園での「大きくなったねの会」での幼児の劇づくりでも、一つの絵本を子どもたちでそれぞれの場面を理解したり、絵本に描かれていない登場人物の思いなどをみんなで想像してみます。集団で同じ絵本を掘り下げることで、子ども同士が共通のイメージをもち、相手の気持ちに気づいていくことができるのです。

子どもたちには多くの本と出会ってほしいと思います。毎年ぞうぐみのこどもたちに「耳のおはなし」をしているのもそんな思いからです。

先日、今年卒園したKくんが突然事務所にやってきて、「ミリーモリーマンデー」と私に声をかけてくれました。「私がミリーモリーマンデー?」「私の名前を忘れたの?」とつっこみたくなりましたが、察するに、ぞうぐみのときお昼の時間に読んだ「ミリーモリーマンデー」が楽しかったのだろうなと思いうれしくなりました。上記の老作家の言葉を借りるとすれば、読み聞かせの活動で、少しは子どもたちの心に足跡を残せているのでしょうか・・・。

(6月園だよりコラムより)